私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、「恐れるな」と仰られました。主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。(哀歌3章57節ー58節)

1.申命記20章1節ー4節
2.ヨブ記17章19節ー21節
3.イザヤ書41章5節ー14節
4.イザヤ書43章1節ー4節 

パウロは「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私ちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ人への手紙8章15節ー16節)」と、キリスト者にとって神は父であり、助け主であり慰め主である御霊がキリスト者には与えられていることを語っています。ところで、子どもは親を頼りにし、親がそばにいると安心しますし、何かあると親に助けを求めるのではないでしょうか。今日の聖句「私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな』と仰られました。主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。」を心に据えて、イエス様によって贖われていることを感謝し、助けを得るために恵の座で祈ろうではありませんか。どんな時にも、どんな状況下にあっても、ことばをもって祈ることができないで、うめくしかないような時であっても、パウロが「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ人への手紙8章26節)」と語っているように、うめきも祈りであること、罪に定められないようにイエス様がとりなしていてくださること、キリスト・イエスにある神の愛から引き離されることは決してないことを(ローマ人への手紙8章34節ー39節)、主は必ず助けてくださる父であることを感謝し、恐れの代わりに主からの平安をいただこうではありませんか。