主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。池の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。(イザヤ書40章22節)

1.創世記1章1節ー30節
2. ヨブ記38章1節ー6節
3.詩篇113篇1節ー9節
4.伝道者の書5章1節ー3節

モーセをはじめイスラエルの民はエジプトにおいては、主が仰せられたように羊の血をかもいと門柱につけたことによって、王座に着くパロの初子から地下牢にいる捕虜の初子までエジプトの地のすべての初子が亡くなりましたが、イスラエルの民の初子はだれも亡くならないという驚くべき奇蹟を体験し、主の力や守り、偉大さを見て賛美したにも関わらず、モーセは約束の地を約束されている主と主のことばよりも、約束の地への道や約束の地がどのようなものなのかをまず探らせようという民の意見に同意し、各部族の族長12人にその地や住民について報告するようにその地の果物を取って来るように言って遣わしたのでした。その結果カレブとヨシュア以外の者たちは、「私たちが行き巡って探ってきた地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちが見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と悪く言いふらし、「主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。」と警告したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたのでした(申命記1章22節、民数記13章1節ー14章10節)。今日の聖句は「主は地をおおう天蓋(口語訳:地球)の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。」と、主にとってすべての人はいなごのように見える、と語っています。この世の人々のように他者と自分を比較するようなことはせず、ヨシュアとカレブのように主と永遠に変わらない主の約束とみことばをしっかり握って生きようではありませんか。