私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。(詩篇121篇2節ー3節)

1.出エジプト記14章1節ー31節
2.申命記1章19節ー33節
3.詩篇18篇16節ー36節
4.ヘブル人への手紙7章14節ー26節

人は神の存在を潜在的に知っているので、人は試練や困難に直面した時や希望がかなうように助けを求めて祈りますが、パウロが「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章22節ー23節)」と語っているように、天地万物を創造された神に助けを求めて祈ることをせずに、受験期になると菅原道真を学問の神様、天神様として祀っている湯島天神などに多くの若者がお参りするように、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、足があっても歩くことができないような様々な像に助けを求めますが、結局、自分次第と考えるか、運命論に走るかになってしまうのではないでしょうか。今日の聖句が「私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。」と語っているように、天地万物を創造された神は、前方には紅海、後方にはエジプト軍という状況下において紅海の海水を二分され、イスラエルの民が渡り終えると海水を元に戻してエジプト軍を全員溺死させエジプト軍の手から助け出され、荒野を旅する時には昼は雲の柱、夜は火の柱となって民が宿営する場所を捜してくださるだけでなく、進んでいく道をも示されたのでした。試練や困難に直面し恐れが襲って来ると、神から見捨てられたかのように思わされたり、自分の信仰が足らなさを思わされ、信仰の歩みがぐらついてしまうようなことがありますが、イエス様は三度イエス様の事を知らないというペテロのために信仰がなくならないように祈られたのでした。ですから、ペテロは「ペテロが信仰と希望は神にかかっている。」と語っています。ペテロのために信仰がなくならないように祈られたイエス様は私たちのためにもまどろむことなくとりなして祈っていてくださることを、私たちの失敗さえも益としてくださる神であることを認め、主を信頼して生きようではありませんか。