人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29篇25節)

1.民数記13章27節ー14章10節(申命記1章19節ー40節)
2.箴言3章1節ー7節
3.マタイの福音書10章28節ー31節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節

エリアは民に、雄牛を切り裂いてたきぎの上に載せて火をつけずに、自分たちの神の名を呼んで火をもって答える神を神とすることを提案し、エリアが主を信頼して「アブラハム。イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださる事を知るようにしてください。」と申し上げると主の火が降ってきてバアルの預言者たちに勝利したのですが、イザベルからいのちを狙われると、大勝利をおさめたにもかかわらず、恐て神の山ホレブのほら穴に逃げ込んだのでした。今日の聖句が「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」と語っているように、主を信頼して事を行った時には大胆に行動し、勝利をおさめましたが、イザベル、すなわち人を恐れると神を忘れ、力を失ってしまったのでした。サウル王にしても、ダビデにしても人を恐れると神がどのような方であるかを忘れ、自分しか見えなくなってしまい、自分で自分を守ろうとして行動してしまうのではないでしょうか。イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。」と、仰せられました。人を恐れるよりも、主がどのような方であるのかを忘れずに、主を信頼し、主のことばであるいのちのみことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。