イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。(ペテロの手紙第一1章1節ー2節)

1.ヨシュア記1章1節ー9節
2.イザヤ書43章1節ー5節
3. ヨハネの福音書15章3節ー16節
4.エペソ人への手紙1章1節ー6節 

ペテロは「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留者している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と、まず、さまざまな地方におられるキリスト者に当てて書いていますが、それに続くひとつひとつのことを見ると、全てのキリスト者に当てはまるのではないでしょうか。なぜなら、すべてのキリスト者は神によって選ばれている存在であり、天に国籍を持つ者であるためにこの世の属していているのではなく、地上では旅人であり寄留者として生きることを心がけるようにされている者であり、御霊によって聖められ、キリスに従うように十字架の血によって汚れた良心さえもきよめられている存在だからですが、それはすべて恵みとまことを実現されたイエス様との関係によって樹立したものです。興味深いことに、パウロもペテロのように「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方の上にありますように。」と各書簡に書いています。ヨシュアに三度も恐れるな、と仰せられたように、恐れや思い煩いや弱さを覚えることが多々ありますが、それに勝利するために必要な信仰や原動力は、主の恵みであり、この世が与えることのできない主からの平安なのではないでしょうか。お互いに「恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈り合おうではありませんか。