いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。(コリント人への手紙第一2章11節ー12節)

1.ヨハネの福音書14章22 節ー26節
2.使徒の働き1章3節ー8節
3.ローマ人への手紙8章15節ー16節
4.エペソ人への手紙1章3節ー14節

イエス様はユダヤ人たちに「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、それを三日で建てよう。」と仰せられると彼らは「この神殿は建てるのに四十六年もかかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」と言ったのですが、イエス様はご自分のからだの神殿のことを言われたように、十字架にかけられる前に何度も弟子たちに十字架の死と復活について語られましたし、永遠のいのちについて語られましたが、ヨハネが「イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。(ヨハネの福音書2章19節ー22節)」と書いているように、ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできています。(ルカの福音書22章33節)」と申し上げましたが、三度イエス様を知らないと言い、弟子たちは「私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と申し上げましたが(ヨハネの福音書16章30節)、十字架のもとにいたのはヨハネだけでしたが(ヨハネの福音書19章26節)、聖霊に満たされた弟子たちやパウロは主のみこころを知る者、救いは恵みによって与えられているものであるとともに天にある霊的祝福を知る者となられ、人や迫害をも恐れずに大胆に福音を語る者に変えられたのでした。今日はペンテコステを記念する礼拝です。聖霊が与えられていることを感謝するとともに、今日の聖句が語っているように、恵みによって与えられている祝福を思い起こしてみようではありませんか。