聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。(ガラテヤ人への手紙3章8節ー9節)

1.創世記12章1節ー3節
2.ガラテヤ人への手紙3章1節ー14節 (申命記21章22節ー23節)
3.エペソ人への手紙1章3節ー14節
4.ペテロの手紙第一3章8節ー15節

人をご自身のかたちとして創造された神は人を祝福されたのですが、アダムは善悪の知識の木から取って食べないように警告を受けていたにも関わらず、神の警告を直接聞いていなかったために神のことばよりも悪魔の偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたエバの声に聞き従って食べたことによって祝福を与えてくださった神との関係に歪みがもたらされ、、罪の力に屈服するような状態になってしまったのですが、主は「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12章1節ー3節)」と仰せられ、祝福を回復するための器としてアブラハムを選ばれたのでした。ですから、パウロは「聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される』と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」と、創世記12章を引用されてから、キリスト者はアブラハムと同じ立場にあることを語っています。キリスト者は主に選ばれ祝福された者であり、主の祝福をもたらす祝福の器とされていることを忘れず、人々が救われ、主の祝福にあずかれるようにとりなして祈るようにしようではありませんか。