私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かつけ加えることも、それから何か取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。(伝道者の書3章14節)

1.ヨハネの福音書3章1節―16節
2.使徒の働き13章36節―43節
3.ローマ人への手紙6章17節―23節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節

神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンはこの世を探索する中で「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜く時がある。」とさまざまな出来事の両極を語ってから、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠(口語訳:永遠を思う思い)を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまでみきわめることができない。・・・私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かつけ加えることも、それから何か取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。」と神の時と神がなされることについて人が介入できないことがあることを語っています(伝道者の書3章1節―14節)。箴言20章9節が「だれが、『私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた』と言うことができよう。」と、パウロがいつも善をしたい願いがあっても、それを実行することができないのは自分のうちに罪があることを自覚し「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と語っているように、人はこの世に誕生してからこの世を去るまでの間、善を行うこともありますが、実は罪を積み上げながら生きているのではないでしょうか。神はそのような絶望状態から人を救うために御子イエス様をお遣わしになられ十字架において神の愛をお示しくださり、イエス様を信じる者の全生涯の罪を取り除いてくださり、永遠のいのちを与えてくださったのでした。救いは行いによるものではなく恵みによるものであることを心に据えて、キリスト・イエスにある神の愛から引き離すものは何もないことを確信されたパウロのように、今日の聖句が「人は神を恐れなければならない。」と勧めているように、人にはできない罪と死の解決を与えてくださった神を恐れる、すなわち畏敬の念をもってほめたたえようではありませんか。