金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。(テモテへの手紙第一6章9節)

1.伝道者の書5章10節―14節
2. ルカの福音書16章13節―15節
3.マタイの福音書19章16節―24節
4.テモテへの手紙第二3章1節―7節

今日の聖句は「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。」と語っています。ところで、誘惑やわなをだれが仕掛けてくるかというとエバを誘惑し、罪を犯すように仕向け、聖霊に満たされたイエス様をも試みた世全体を支配している悪魔ですが、ヤコブの手紙1章13節―16節は「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、悪魔に誘惑される前に、欲の問題があることを指摘しています。エバとアダムもイエス様も悪魔に試みられましたが、エバとアダムと違って、イエス様が悪魔の誘惑に勝利されたのは、みことばで対応したからでした(マタイの福音書4章1節―11節)。イエス様は神の国とその義をまず第一に求めるなら世の人々が求めているものはすべて添えてあたえられることを話されました(マタイの福音書6章33節)。パウロは「満ち足りたりる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」と語ってから今日の聖句を語っています。神を考慮せず、みことばに生きないように仕向けて来る悪魔の誘惑や欲から守られるために、人類にとって最も必要なお金では買えない罪や死の解決が、永遠のいのち、すなわち永遠の富が与えられていることを、必要なものは与えてくださる主であることを忘れずに生きようではありませんか。