イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ。湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。(マタイの福音書8章23節―24節)

1.マタイの福音書5章11節―12節
2.ヨハネの福音書16章29節―33節
3.使徒の働き9章1節―16節
4.ペテロの手紙第一4章12節―19節

バプテスマを受けてすぐに水から上られると神の霊が鳩のように下り、聖霊に満たされたイエス様がサタンとも呼ばれる悪魔の試みに会われたように、世全体を支配している悪しき者は主の守りの中に置かれているキリスト者に触れることはできませんが(ヨハネの手紙第一5章18節)、火矢を射ってきますが、その火矢を消すためには信仰の大楯を取る必要があることを(エペソ人への手紙6章16節)多くの苦しみを経験しているパウロは語っています。ですから、今日の聖句は「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ。湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。」と、イエス様と同じ舟に乗った途端に大暴風が起こったので、弟子たちは眠っていたイエス様を起こして「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」と助けを求めると、イエス様は「なぜこわがるのか。信仰の薄い者たちだ。」と仰せられてから、起き上がって風と湖をしかりつけると風がやんで波がなくなりおだやかになったのでした。イエス様と弟子たちは同じ舟に乗っており、同じ状況下にいたにもかかわらず、弟子たちは恐れ、イエス様は眠っておられたように反応の違いが見られます。大暴風雨の中で眠ることができたのは、主は十字架の死と復活するという使命をご存知であったことと、どんな状況下にあっても心安らかにいることができる力があることをお示しくださっただけでなく、私たちの信仰が薄くても主に助けを求めるなら大いなるみわざをもって応えてくださる主であることを示されたのではないでしょうか。主はどんな時にも一緒にいてくださることを忘れずに、主を信頼し、この世が与えることのできない平安を主からいただて生きようではありませんか。