このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。(コロサイ人への手紙2章3節)

1.ヨハネの福音書8章1節―9節
2.使徒の働き6章8節―10節
3.コリント人への手紙第一1章18節―25節
4. ヤコブの手紙1章5節―8節

祭司長、律法学者、長老たちが、イエス様に何か言わせて、わなに陥れようと、イエス様のところ送られたパリサイ人とヘロデ党の者数人が「カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」と尋ねると、イエス様は彼らの擬装を見抜いて「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」と言われ、彼らがデナリを持って来ると「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」と尋ねたので、彼らが「カイザルのです。」と答えたので「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と答えられたので、彼らは驚嘆したのでした(マルコの福音書12章13節―17節)。ヤコブの手紙3章2節は「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は体全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、後悔するようなことを言ったり、行ったりしてしまいますが、イエス・キリストは神の知恵であり、ことばで失敗することも窮地に陥ることもなかったのでした。ですから、パウロは「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」と語ったのではないでしょうか。イエス様のことを、イエス様がどのように歩まれ、語られたかを思い起こし、イエス様が悪魔の試みにみことばをもって勝利されたように、神の知恵であるみことばに生きるようにしようではありませんか。