人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブル人への手紙9章27節―28節)

1.ヨハネの福音書14章1節―6節
2.ヨハネの福音書14章1節―6節
3.ローマ人への手紙13章11節―14節
4.テサロニケへの手紙第一4章16節―18節

ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに気づいておられ「十字架につけろ」と叫んでいる群衆に向かって「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言うと、彼らはますます「十字架につけろ」と叫んだので、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放し、十字架につけるように兵士たちに引き渡したのでした。彼らは神のご計画を知らなかったので、道を行く人々や十字架につけられていた犯罪人たちも十字架につけられたイエス様をののしったり、悪口を言ったり、あざ笑ったり、祭司長たちも律法学者たちといっしょになってあざけったりしましたが、イエス様は彼らのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたのを聞いた、十字架にかけられた犯罪人のひとりはイエス様に対する態度を変えて救われたのでした(マルコの福音書15章6節―32節、ルカの福音書23章32節―43節)。ところで、今日の聖句は「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」と、主の再臨について語っています。今朝、サッカーでスペインに日本が逆転勝利をされたことを日本中が喜んでいます。キリスト者はこの世を去ると同時にパラダイスで死からよみがえって逆転勝利をおさめたイエス様にお会いするときの喜びはどれほどのものかと思います。それだけでなく悪を滅ぼすためにイエス様は「王の王、主の主」としてこの世に来られる主にお会いする人々の喜びはいくばくかのものと思います(黙示録19章11節ー16節)。永遠のいのちが与えられている幸いを忘れず、逆転勝利をおさめられた主を喜んで生きようではありませんか。