主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章25節―26節)

1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇62篇1節―5節
3. 伝道者の書3章1節―11節
4.ローマ人への手紙11章33節―12章2節

ヨハネの福音書1章18節は「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、イエス様ご自身が神であり、神を明らかにされたことだけでなく、「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとり終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちを終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章38節―40節)」と神のみこころとご自身に与えられた使命を語っていますが、その使命は十字架の死をも意味するものでした。ですから、イザヤ書53章7節は「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」とイエス様は使命を果たすために黙して十字架の死にまでも従われたのでした。今日の聖句「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」を心に据えて、思い煩うようなことや心をさわがすようなことに見舞われた時、想像力を働かせていろいろ悩み、自分で恐れを大きくしてしまうより、良いこと、すなわち、静まって主がどのような方であるのかを熟考し、すべてを美してくださる主の時があることを思い起こし、不可能はない神である主に期待し、主の安息の中に生きるようにしようではありませんか(ヘブル人への手紙4章10節ー11節)。