金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷いでて、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

1.マタイの福音書6章24節―34節
2.マタイの福音書19章16節―26節
3.ルカの福音書12章13節―21節
4.テモテへの手紙第二3章1節―7節

安倍元総理が暗殺された原因が彼の母親が捧げた統一教会への献金額であったことから、話題の中心は献金に関することになり、勅使河原本部長が献金について10分の3を基準に設け、月収の3割を超える場合には記録を残すなどの対策を話されたのには驚かされました。イエス様は律法と預言者を成就され律法を終わらせられたので(マタイの福音書5章17節、ローマ人への手紙10章4節)モーセの律法を強要しようとしたパリサイ派の者でキリスト者になった人々と弟子たちの間に協議がなされましたが、献金に関することは触れられませんでした(使徒の働き15章23節―29節)。しかし、パウロは「マケドニアの聖徒たちは苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私は証します。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。」と語っているように、献金は恵みを知った者が自由意志をもって、喜んで捧げるものであり、強要されるものではないことは明白です(コリント人への手紙第二8章1節―7節)。この世に生きている限り、金銭は必要ですが、金銭を愛することの危険性を今日の聖句は語っています。金銭を愛する、ということは、「お金があるから」とか「お金がないから」と、お金によって物事を決めることで、主の存在を忘れ、満ち足りる心を伴う敬虔さを失わせてしまうのではないでしょうか。お金では解決できない罪や死の解決を、永遠のいのちを与えてくださった主を、この世が与えることのできない豊かな富が与えられていることを忘れずに金銭ではなく、主を愛して生きようではありませんか。