この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの福音書1章11節―12節)

1.サムエル記第二7章12節―15節
2.ローマ人への手紙8章15節―16節
3.エペソ人への手紙2章14節―19節
4.ヘブル人への手紙12章2節―13節

イエス様は「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれかわらなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」と仰せられたのでした(ヨハネの福音書3章1節―7節)」と、仰せられました。なぜなら、やがて滅んでしまうこの世ではなく、永遠の国である天国に生まれるためには、両親によってこの世に生まれたように、御霊によって生まれる必要があることを語ったのでした。今日の聖句が「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と、「この方」すなわちイエス様を信じることによって神の子とされ神の家族となるのです。ですから、キリスト者は二つの家族を持っています。サウルの手から逃れるためにダビデはペリシテ人の地に逃げましたが、すぐに素性がばれてアドラムの洞穴に逃げてひとりぼっちになってしまいましたが、兄弟からよく思われていないこともありましたが(サムエル記第一17章17節―30節)、まずそのことを耳にした家族がダビデのもとに駆けつけたのでした。兄弟や両親といろんな問題があっても家族には血による特別な関係があるのではないでしょうか。キリスト者は十字架の血によって神の家族とされていることを心に据えて、パウロが「互いに忍び合い、だれかほかの人に不満を抱くことがあっても、」互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(コロサイ人への手紙3章13節―14節)」と勧めているように、十字架で示された神の愛が聖霊によって心に注がれていることを自覚し、互いに赦し会うことによって神の愛をこの世に示そうではありませんか。