主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。(詩篇145篇17節)

1.詩篇103篇8節ー14節
2.詩篇116篇7節ー9節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.ヘブル人への手紙4章12節ー16節

箴言3章5節ー7節に「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵ある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。」と勧めているのは、今日の聖句が「主はご自分のすべての道において正しく、」と、語っているように主はすべての道において正しい方なので、正しい道へと導いてくださるからではないでしょうか。ところでダビデは多くの罪を犯しましたが「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天がはるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(詩篇103篇8節ー12節)」と、語っているように、主は正義の方ですから罪や咎を見過ごされることなく、裁かれますが、神はあわれみ深く情け深く恵み深い方で、彼が悔い改めて主に立ち返ると、その罪を赦されるだけでなく、勝利を与えられたのでした。ですから今日の聖句は「主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。」と、主の正しさを語るだけでなく、恵み深い方である、という両面を語っているのではないでしょうか。主がどのような方であるのかを知ることによって私たちの信仰生活は左右されるのではないでしょうか。ヨハネが勧めているように、たとい自分の心が責めても、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存知であり、恵みとまことに満ちておられる主がとりなしていてくださることを思い起こし、主の御前に心安らかに生きようでありませんか(ヨハネの手紙第一3章20節)