正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。(箴言12章28節)

1.ヨハネの福音書5章19節―26節
2.ヨハネの福音書11章17節―26節
3.ヨハネの福音書14章1節―6節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節

イエス様がパウロに「わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後あなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」と、仰らせられたことばに、人は、悪魔とも呼ばれるサタンか、神か、どちらかの支配下に置かれているのです。イエス様は世全体を支配している悪魔について「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言う時は、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼は偽りものであり、また偽りの父であるからです。(ヨハネの福音書8章44節)」と、仰せられました。ですから、パウロもヤコブもヨハネも世と調子を合わせないように警告しています(ローマ人への手紙12章2節、ヤコブの手紙4章4節、ヨハネの手紙第一2章15節―16節)。善悪の知識の木から取って食べるなら死ぬ、と仰せられた神のことばを「あなたがたは決して死にません」と完全に否定した悪魔が示した道は死でした。ですからパウロはキリストを信じる前の状態について「あなたがたは自分の罪禍と罪の中で死んでいた者であった」と、生きていても実は死んでいる状態にあることを語ったのでした。一方、今日の聖句が「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。」と語っているように、「わたしが道である。」と仰せられたイエス様を心にお迎えしているなら、主は私たちを背負っていてくださり、罪に定められないように取りなして祈っていてくださり、正義の道、いのちの道を歩むように日々お導きくださっていることを感謝して生きようではありませんか。