すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)

1.ルカの福音書18章1節―8節
2.ローマ人への手紙8章18節―27節
3.ヤコブの手紙5章13節ー20節
4.ペテロの手紙第一4章7節―10節

パウロは人ではなく目に見えない悪魔や悪霊との戦いのがあること、戦いに勝利するために、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音、信仰の大楯、救いのかぶと、御霊の与える剣である、神のことばであるみことば受け取りなさい、と身につけるべき神の武具について語ってから(エペソ人への手紙6章10節―17節)、「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」と、勧めています。イエス様は悪魔の試みに会いながらも四十日四十夜断食して祈られ、悪魔の誘惑に対してみことばをもって勝利されたのでした(マタイの福音書4章1節―10節、ルカの福音書4章2節)。世全体を支配している悪魔や悪霊はキリスト者に触れることはできませんが、さまざまな思いを投げかけてきます。彼の策略はキリスト者が神との関係よりも人間関係を、神の国よりもこの世のものを第一にするように仕向け、神に対する不信感やみことばに対する懐疑心を抱かせるように心に火矢を射ってきます。どんな祈りも主はお聞きくださっていますが、すぐに祈りが応えられる時と、みこころにかなった祈りをしているのになかなか応えられない時がありますが、主の時があること、またパウロが願っても願いがかなえられなかったのは高ぶらないためであったように(コリント人への手紙第二12章7節―10節)、祈りが応えられないことも主の守りであることを心に据えて、失望することなく、聖霊によって書かれたいのちのみことばをしっかり握って祈る一方で(テモテへの手紙第二3章16節)、ことばが出てこないような苦しい時には深いうめきをもって祈るなら、それも御霊によって祈ることになるのではないでしょうか(ローマ人への手紙8章26節)節)。とにかく、信仰の完成者であり、とりなして祈っていてくださっているイエス様を見上げると共に私たち信じる者に働く神の力がどのような偉大なものであるかを(エペソ人への手紙1章19節)わきまえ知るために、絶えず目をさまして祈り続けようではありませんか。