主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩篇23篇1節―2節)

1.ヨハネの福音書6章3節―13節
2.ヨハネの福音書6章32節―35節
3.ローマ人への手紙8章28節―32節
4.コリント人への手紙第二6章1節―10節

ダビデは「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」と、世の人々が求めているこの世の豊かさや富に惑わされないように「あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。」と祈られ、主が与えてくださるものは、穀物や新しいぶどう酒、すなわち、世が与える豊かさよりもはるかにすばらしいことを告白されました。イエス様は群衆に「どんな貪欲にも気をつけなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではありません。」と、譬え話として、金持ちの畑が豊作になったので、彼は大きな倉を建てて穀物や財産をそこにしまってから「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と自分に言い聞かせた途端に、神が彼に「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」と仰せられるように、「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と、いのちの保証は富や財産あるものではないことを話されたのでした。イエス様はご自身を「私は良い羊飼い。」と仰せられ、世が与えることのできない平安を与えることを約束され、心を騒がせたり、恐れたりしないように仰せられたのでした。主は私たちの必要をよくご存知な方で、必要なものは与えてくださる方ですから、今日の聖句「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」を心に据えて主を信頼して生活しようではありませんか。