兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ人への手紙5章13節)

1.マルコの福音書10章35節―45節
2.ヨハネの福音書8章28節―36節
3.ローマ人への手紙6章17節―23節
4.ローマ人への手紙7章18節―8章7節

神である主は人、すなわちアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章16節―17節)」と、自由を与えるとともに、死から守られるために神のことばに従うように仰せられたのですが、彼は神の警告を完全に否定し、善悪の知識の木から取って食べても決して死なない、と断言した悪魔の偽りのことばを信じて食べたエバから渡されると、神の警告をないがしろにしてエバの声に聞き従って食べて罪を犯したことによって、与えられた自由を間違って使ったために、罪や目には見えませんが罪を犯すようにはたらく悪魔の支配下に置かれ、パウロが苦悩したようにいつも善をしたいと思ってもそれができない弱さを抱えていますが(ローマ人への手紙7章15節―24節)、そのような状態から解放するために神は御子イエス様を人としてお遣わしになり十字架の死と復活をもって、罪、死、悪魔の支配から贖い出し、アダムが罪を犯す前に与えられていた自由に生きる者としてくださったのでした。今日の聖句は「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」と勧めています。ここで使われている「愛」はギリシャ語のアガペで、十字架で示された神の愛であり、キリスト者には聖霊によって神の愛が(ローマ人への手紙5章5節)、人の知恵や力では決して得ることのできない自由が与えられていることを忘れずに、主をご存知ない世の人々のように、自分の益を求めて、人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主に仕えるように、愛(アガペ)をもって互いに仕える、すなわち、愛がなければ仕えることはできませんから、イエス様が願っておられるように互いに神の愛で愛し合い、キリストに生きられるように助け主であられる聖霊様に助けていただこうではありませんか。(ヨハネの福音書15章12節、エペソ人への手紙6章6節―7節)。