主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。(箴言21章30節)

1.エレミヤ書9章23節―24節
2.コリント人への手紙第一1章18節―31節
3.コリント人への手紙第一4章4節―7節
4.コリント人への手紙第一8章1節―3節

創世記1章1節が「初めに、神は天と地を創造した。」と、創世記1章26節―27節が「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と、創世記2章7節が「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きるものとなった。」と、人は他の被造物と異なって特別な存在であることを語っています。しかし、人は神によって創造された存在であるにもかかわらず、いまだに地球誕生や人間誕生を追求し、パウロが「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者になり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章22節―23節)」と語っているように、東大や京大など有名大学を出た方でも、知能指数が高い知恵者と言われる人々でも偶像を神として崇めているのは不思議ですし、地球以外の惑星で、特に火星で生きられるかどうかを一年かけてNASAが試みましたが、それは非常に愚かなことのように思えます。今日の聖句は「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。」と語っています。なぜなら、学歴や家柄、容貌、能力などさまざまなものを人は誇りますが、すべては神から与えられたものであるがゆえに、だれも自分を誇ることができないばかりか、人の知恵や英知は罪や死の解決を与えることができないからではないでしょうか。神である主が、人がどのようなものであるかを、真理のみことばによって知ることができたことはなんと幸いなことでしょうか。この世の知恵に惑わされず、真理のみことばを握って生きようではありませんか。