みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイの福音書6章10節)

1.マルコの福音書14章34節―36節
2.ローマ人への手紙11章23節―12章2節
3.エペソ人への手紙5章3節―17節
4.ヘブル人への手紙5章7節―10節

今日は、いわゆる主の祈りの中の「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」が与えられました。パウロは「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。・・神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1章1節及び5節)」と、天における神のみこころは人が介入できないものであることを語る一方、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良ことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。(コリント人への手紙第一2章11節)」と、「地」、すなわちこの世にあって神のみこころを行うことができるのは御霊が与えられているキリスト者であることを語っています。キリスト者はすでに神のみこころにかなった者であり、御霊によって、みことばによって神のみこころを知る者でありながら、パウロが葛藤したようにいつも善をおこなうことができないような弱さを持っていますが、神は神のご計画に従って召されたキリスト者のためには、すべてのことを働かせて益としてくださること、すなわち神のみこころをなされることを感謝するとともに、イエス様が地にあってどのようにみこころを行なわれたかを心に留めて信仰の完成者であるイエス様を見上げて生きようではありませんか。