神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)

1.使徒の働き1章 3節―8節
2.ローマ人への手紙8章9節ー16節
3.コリント人への手紙第一2章1節―12節
4.ヨハネの手紙第一4章1節―6節

イエス様は昇天される前に「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」と、また「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と、そして「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と仰せられたように、ペンテコステ(五殉節)の日に聖霊が下り、聖霊に満たされた弟子たちは、もはやだれが一番偉いかなとど議論するようなことがなくなり、大胆に福音を語る者に変えられたのでした。キリスト者となり聖霊に満たされたパウロは「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。(ローマ人への手紙2章12節)」と言われ、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」と、聖霊がどのようなものであるかについて具体的に話されました。サタンはさまざまな策略をもってキリスト者を試みますが、その背後に神が許可されたがゆえであることを、信仰がなくならないようにイエス様が祈っていてくださることを忘れずに、この世が与えることのでない神の力、十字架で示された神の愛、思うべき限度を越えて思い上がって高ぶらず、神の霊感によって書かれたみことばに生きるため、御霊に満たしてくださるように主に祈ろうではありませんか。