平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(マタイの福音書5章9節)

1.マタイの福音書5章38節―48節
2. ローマ人への手紙8章3節―16節
3.エペソ人への手紙2章1節―19節
4.ヤコブの手紙3章13節―18節

ヤコブは「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。(ヤコブの手紙4章1節)」と、平和がもたらされない原因が欲にあることを語っています。この世に生きている限り、すべての世にあるものは肉の欲、目の欲であり(ヨハネの手紙第一2章16節)、欲は一生涯すべての人に付きまとうものであるためになかなか平和を見ることができない世界ですが、ガラテヤ人への手紙5章24節は「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」と欲の解決はイエス様との関係にあることを語っています。ですから、今日の聖句は「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」と、平和をつくることができるのは、御霊によって新生され神の子とされているキリスト者によるものであることを語っているのではないでしょうか。ペテロが「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。(ペテロの手紙第一2章11節)」と、パウロが「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。・・神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。・・ですから、愛されているこどもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ人への手紙4章26節ー27節、30節、5章1節)」と、勧めているように、十字架によって敵意を葬ってくださった平和の君であるイエス様のことを、神の子とされ、平和をつくる者とされていることを忘れずに生活しようではありませんか。