それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みのよい管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(ペテロの手紙第一4章10節)

1.ローマ人への手紙12章3節―8節
2.コリント人への手紙第一4章1節−5節
3.コリント人への手紙第一12章1節―11節
4.コリント人への手紙第一15章3節―10節

パウロは「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と、まずイエス様を信じたすべての人には賜物として「永遠のいのち」が与えられていることを語るとともに、「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば、奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与え人は惜しまず分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでしなさい。(ローマ人への手紙12章6節―8節)」と語るとともに、コリント人への手紙第一12章1節―11節においては御霊の賜物について、エペソ人への手紙4章7節―11節においてキリストの賜物、すなわち「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師としてお立てになったのです。」と、さまざまな賜物について言及していますが、すべての賜物は神からのものであり、しかも恵みによって与えられたものであるために、ペテロは「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みのよい管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」と語っているのではないでしょうか。管理者であることを自覚して、良い管理者、すなくち忠実なしもべとして生きるために、永遠のいのちが与えられていることを忘れず(ヨハネの手紙第一5章13説)、主から各自に与えられているさまざまな賜物をキリストのからだを建て上げるために用いるようにしようではありませんか。