どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。(テサロニケへの手紙第二3章5節)
1.ローマ人への手紙4章25節―5章11節
2.ヘブル人への手紙10章32節―39節
3.ヘブル人への手紙12章2節―13節
4.ヤコブの手紙5章1節―11節
イエス様は「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。・・・・あなたがたは天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイの福音書5章44節―48節)」と、弟子たち、すなわち、キリスト者に、十字架で明らかにされた神の愛に生き、迫害する者のために祈り、神の子として、完全な者として生きるように仰せられましたが、ヤコブの手紙1章2節―4節に、完全な者になるためには忍耐が欠かせないこと、忍耐は信仰がためされることによって生じるものであることを語るとともに、さまざまな試練をこの上もない喜びと思うように勧めていますが、実際、試練に対して「どうして」と、苦悩したり不安を覚えたりするのではないでしょうか。ところで、ヘブル人への手紙12章2節―4節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにしなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それはあなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」と、語っています。イエス様はご自分がどのような死を遂げるのかをご存じでしたので汗が血のしずくのように地に落ちるような祈りをささげられたのでした(ルカの福音書22章44節)。パウロが「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」と祈られたように、聖霊によって心に与えられている神の愛に生きることができるように、神の愛は十字架で示されたことを、人々からののしられてもののしり返さずに、神の御心に生きるために忍耐されたキリストの忍耐を忘れずに、神にはご計画があることを、すべてのことを益としてくださることを心に据えて、私たちの心を主がお導きくださるように祈ろうではありませんか。