神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくだるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節―34節)

1.ゼカリヤ書3章1節―10節
2.使徒の働き26章2節―18節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
4.ヨハネの手紙第一1章8節―2章2節

私たちは「われらに罪(別訳:負債、負い目)をおかす者を我らが赦すごとくわれらの罪をお赦しください。」と祈りますが、実生活においていつもそれを実行できない弱さを抱えて苦悩することが多々あるのではないでしょうか。主は人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と、祈られたのでした。イエス様は弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と二度仰せられましたが、その戒めを守る秘訣は「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」と、キリストの愛、すなわち十字架で示された神の愛の中にとどまることであることをお教えくださいました(ヨハネの福音書15章9節―12節、17節)。イエス様は人々を罪に定めるためではなく、罪から救うために遣わされ、信仰がなくならないようにペテロのために祈られたのでした。パウロが「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し会いなさい(エペソ人への手紙4章32節)」と勧めているように今日の聖句「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくだるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」を、恵みによって罪や死だけでなく、告発者であるサタンからも救われていることを忘れずに、互いに赦しあって神の愛に生きようではありませんか。