私の命令を守って、生きよ。私の教えを、あなたのひとみのように守れ。(箴言7章2節)

1.申命記6章1節―4節
2.申命記8章1節―11節
3.伝道者の書12章11節―14節
4.マタイの福音書6章22節―23節

イエス様によって目が見えるようになった生まれつきの盲人はイエス様のことを罪人と言っているパリサイ人やユダヤ人に「盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたことがありません。もしあの方が神から出ておられるのではなかったら、何もできないはずです。」と言うと、彼らは「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私を教えるのか。」と言って、彼を外に出したのでしたが、癒された人はイエス様を信じ、イエス様を拝したのでした。そこで、イエス様が「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」と仰せられると、それを聞いたパリサイ人の中でイエス様とともにいた人々が「私たちも盲目なのですか。」と尋ねたので、イエス様は「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」と仰せられたのでした(ヨハネの福音書9章1節―41節)。彼らは自分の義に生き、人々を見下げ真理に目が閉ざされていたのでした。イエス様は「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章43節)」と仰せられました。御霊はイエス様を信じることによって与えられますから、パウロはキリストを信じる前は生きていても自分の罪禍と罪の中で死んでいた者であった(エペソ人への手紙2章1節)、と語っています。ですから、今日の聖句は「私の命令を守って、生きよ。私の教えを、あなたのひとみのように守れ。」と、本当の意味で生きるためには主の命令、すなわち、みことばを守って生きることを、主の教えをひとみのように守るように勧めています。ひとみは光を取り入れる入り口です。イエス様は「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいのです。(マタイの福音書6章22節)」と仰せられました。この世の汚れから守られるように、世の光として輝くためにいのちのことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。