いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。(エペソ人への手紙5章20節)

1.詩篇50篇7節―23節
2.ローマ人への手紙7章23節―8章3節
3.ピリピ人への手紙4章6節―7節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節―18節

パウロは「あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。(コリント人への手紙第一3章1節)」と語っているように、コリントの教会は肉のキリスト者が多かったために、「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。(コリント人への手紙第一2章3節―4節)」と語っていますが、それでも彼は「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵のゆえに、あなたがたのことをいつも感謝しています。(コリント人への手紙第一1章4節)」と手紙の冒頭に書いておられますし、他の教会に宛てた書簡には、聖徒たちのために祈るとき、神に感謝しているだけでなく、ピリピ人への手紙1章4節には、喜びをもって祈っていることを書いています。パウロは感謝できないような時でも、感謝できないようなことが起きても「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」と勧めていますが、その秘訣はその前句「聖霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」に見ることはできるのではないでしょうか。御霊はキリストのうちにとどまるように導いてくださいます(ヨハネの手紙第一2章27節)。詩篇50篇23節に「感謝のいけにをささげる人は、わたしをあがめよう。」とあります。自分の考えや感情に支配されると、イスラエルの民のように神の恵みを忘れて、感謝するよりも神に対して不信感を抱いたり、つぶやいたりしてしまいますが、神がどのような方であるかを語り合ったり、思い起こしたりすると神に感謝する心がよみがえってくるのではないでしょうか。恵みとまことに満ちておられる主を忘れないようにしようではありませんか。