すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)

1.テサロニケへの手紙第一5章16節ー21節
2.テモテへの手紙第一2章1節―6節
3.ヤコブの手紙5章13節―20節
4.ヨハネの手紙第一5章14節―17節

ヤコブは「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。(ヤコブの手紙4章3節)」と、ヨハネは「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくだると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの手紙第一5章14節―15節)」と、神がお聞きくださる願いは、神のみこころにかなっているかどうかによることを語っています。ところで、パウロは「いったい人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。(コリント人への手紙第一2章11節)」と、神のみこころは神の御霊が教えてくださることを語っています。ですから、パウロは「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」と御霊によって祈ることを、祈り続けることを勧めています。ヨシャパテやネヘミヤをはじめ旧約聖書においても新約聖書においても多くの聖徒たちは神の約束を申し上げて祈っています。聖書は神の霊感によって書かれたものであり、神の約束がはっきりと示されています。ですから、聖書の約束を祈るなら、御霊によって祈ることになるのではないでしょうか。今日の聖句の後で、パウロは教会や兄弟姉妹、同胞のイスラエルの民のために熱心に祈る方でしたが、持論を語るのではなく「語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のために祈ってください。」と、祈りを要請しています。みことばの約束を信じて祈ろうではありませんか。