「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

1.マルコの福音書2章14節ー17節
2.ローマ人への手紙10章1節ー13節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー11節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

ユダヤ人は異邦人、すなわちユダヤ人以外の人々とは違うという選民意識を持っているために、パリサイ人として自分の義に生きていた時のサウロとも呼ばれていたパウロは律法による自分の義に生き、自分のうちに罪があることを知らずに祭司長たちやユダヤ人同様にナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者迫害するために向かっていたダマスコへの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」という声を聞いたのでパウロが「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねると、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と答えられただけでなく、奉仕者、キリストの証人としての働きを与えられたのでした。キリスト者となり聖霊に満たされたパウロは、自分が罪人であることを、イエス様が人としてこの世に御降誕された本当の意味を悟り、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」と、イエス様が来られた意味を、みことばをそのまま受け入れることの大切さを語るとともに、教会を迫害していたのでご自分のことを「罪人のかしら」とも証されたのでした。パウロは「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節―24節)」と、すべての人にキリストが必要であることを語っています。多くの方々がイエス様が御降誕された意味を知り、イエス様を心にお迎えされますように祈りましょう。