キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。(2017訳:ペテロの手紙第一4章1節)

1.エペソ人への手紙6章10節ー20節
2.コロサイ人への手紙1章25節ー3章9節
3.ヘブル人への手紙5章7節ー10節
4.ヨハネの手紙第一1章7節ー2章6節

イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」と、ご自身を一粒の麦に例えられてから「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」と、キリスト者もイエス様と同じ生き方をすることになりますが、神はその人を重んじられると仰せられてから、「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」と、心の葛藤を語るとともに与えられている使命に生きる決断を父なる神に申し上げると、天から、すなわち父なる神は「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」と約束されたのでした(ヨハネの福音書12章24節―28節)。ペテロは父なる神からの啓示によってイエス様のことを「あなたは生ける神の子キリストです。」と告白したにもかかわらず、罪を犯すように誘惑するサタンのふるいに何度かかけられ、神よりも人を恐れて失敗を繰り返した経験を踏まえて、罪との関わりを断つためにイエス様と同じ心構えで自分自身を武装するように勧めています。パウロは悪魔の策略に陥らないために神のすべての武具を身に着け御霊によって祈るように勧めていますが、それを見ると神のすべての武具はキリストを着ることだとわかります(エペソ人への手紙6章11節―18節)。パウロは肉との葛藤を覚えましたが、十字架に示された神の恵みと愛の深さを知る者となり、キリストに生きる者となられたのでした(ガラテヤ人への手紙2章15節ー21節)。私たちも自分の考えや思いではなく、神のみこころをはっきり教えてくださっているみことばに聞き、みことばで生きるように心がけようではありませんか。