律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)

1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2.ローマ人への手紙8章23節ー39節
3.コリント人への手紙第一3章18節ー4章5節
4.ヘブル人への手紙4章13節ー16節

パウロは「律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、人を誘惑する者、うそをつく者、偽証する者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。(テモテへの手紙第一1章8節―10節)」と、語るとともに「律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私を死にもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深い者となりました。(ローマ人への手紙7章12節)」と、律法の目的と役割を語っています。確かに律法がなければ罪がわからず、罪がわからなかったなら、罪の赦しが、キリストによってもたらされた恵みによる救いが必要であることがわからないのではないでしょうか。戒めや規則によって人は正しく生きられると思いがちですが、戒めや規則が増えれば増えるほど罪が増し加わってしまうために、すべての人は、この世を去るまで罪や過ちを積み上げながら、時には罪悪感や罪責感に悩まされながら生きていますが、今日の聖句は「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と、罪に打ち勝つ恵みの力がどれほどのものであるかを語っています。良心の咎めを受ける度に、自分で自分を罪に定めるようなことをせず、その罪も恵とまことに満ちておられるイエス様が十字架ですでに支払ってくださっていることを、罪に定められないようにとりなしていてくださる恵みを心にしっかり据えて、主に感謝を捧げながら恵みの中に生き続けようではありませんか。