あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。(ヤコブの手紙5章13節)

1.詩篇50篇7節ー15節
2.詩篇86篇1節ー7節
3.使徒の働き3章1節ー16節
4.使徒の働き4章1節−31節

祭司長たちや長老たちから「イエスの名によって語ることも教えることもいっさいしてはならない。(使徒の働き4章18節―21節)」と、脅されたヨハネとペテロは、仲間のところに言ってすべてを話し、心を一つにして祈ると集まっていた場所が揺れ動いて聖霊に満たされ神のことばを大胆に語りだしたのでした。その経験を踏まえて、ペテロは「もしあなたがたが良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。・・神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうが良いのです。(ペテロの手紙第一3章13節―14節及び17節)もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどなってくださるからです。あなたがたのうちだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。しかし、キリスト者として苦しみを受けるなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。(ペテロの手紙第一4章14節―16節)」と勧めています。パウロの場合は迫害にあっただけでなく自分の内に罪があることに悩んで苦しみ「だれがこの死のからだから、私を救い出してくださるのでしょうか。」と言いましたが、キリスト者は罪に定められることがないばかりかキリスト・イエスにある神の愛から引き離されることはないという確信を得たのでした(ローマ人への手紙8章1節及び38節―39節)。足がいやされた方が喜んでヨハネとペテロと一緒に神を賛美しながら宮に入って行ったのを見て人々はヨハネとペテロの所に来たのでペテロは福音を語ったのでした。今日の聖句が「あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。」と勧めているように、どんな時にも主を認めて生きようではありませんか。