私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。(マタイの福音書3章11節)
1.使徒の働き2章1節―4節
2.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
3.ペテロの手紙第一1章5節ー7節
4.ペテロの手紙第一4章12節−13節
悔い改めるために「水のバプテスマ」を人々に授けていたヨハネは「私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。」と話されました。イエス様は昇天される前に弟子たちに「あなたがたは、いと高き所から力(聖霊)が着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節、使徒の働き1章8節)」と仰せられたように、ペンテコステ(五殉節)の日に聖霊が下りペテロは人を恐れずに他の11人とともに立ち上がって大胆に福音を語ったのですが、それ以後、もはや使徒たちの間でだれが偉いかなどと議論するようなことをせずに御霊によって心がひとつにされたのでした。そこには炎のような舌、すなわち御霊の火によって聖められた姿があります。イエス様は昇天される前に「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネの福音書17章17節)」と父なる神に申し上げたように、イエス様ご自身も御霊に満たされたあと御霊に導かれて荒野で悪魔の試みに遭われましたましたが、みことばをもって悪魔に勝利されたあとで御霊の力に満たされて宣教の働きをされたのでした(ルカの福音書4章1節ー14節)。それはまさに聖霊を受けた後に経験する信仰がためされる火のバプテスマなのではないでしょうか。ペテロは「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない』と書いてあるからです。」と語っています(ペテロの手紙第一15節―16)。主よりも自分、みことばよりも自分やこの世の考えで生きるようにさまざまな誘惑をもって悪魔は試みてきますが、それは、主と同じように聖別された者となるための信仰の試練であることを心に据えて、みことばで生きれるように、すべてのことを教えてくださる御霊に導いていただこうではありませんか。