私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3章41節)
1.詩篇63篇1節ー8節
2.詩篇134篇1節−3節
3.コロサイ人への手紙2章20節ー3章2節
4.テモテへの手紙第一2章節ー8節
今日の聖句は「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と勧めています。興味深いことにエジプトから解放されて神が約束してくださった地に向かう道中アマレク人との戦いにおいて、モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときには、アマレク人が優勢になったのでした。モーセの手が重くなると、モーセを石に腰掛けるようにして、アロンとフルがモーセの手を日が沈むまで支えたのでアマレク人に勝利したのでした。すると、主はモーセに「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」と仰せられると、モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ(主はわが旗)と呼び、「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる」と言われたのでした(出エジプト記17章8節ー16節)。ところで、打開策もなくどうにもならないと「お手上げ」と世では失望を意味しますが、そのような時、主に向かって手を上げて祈り、手を上げて主をほめたたえるなら、主が勝利を与えてくださるのではないでしょうか。いつでも善をしたいという願いがあっても実行することができないのは自分の中に罪があるためであることを悟ったパウロは「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と自分に失望しましたが、死からよみがえられ神の右に座しておられるイエス様がとりなしていてくださるがゆえに罪に定められることがないことを、キリスト・イエスにある神の愛がどのようなものであるかを知る者となり(ローマ人への手紙7章15節―8章2節及び34節―39節)、キリスト者に「あなたがたは地上のことを思わず、天にあるものを思いなさい。」と、私たちの心を天におられる神に向けるように勧めています。手を上げて主をほめたたえ、すべてのことをご存知な神の御前に心を注ぎ出して(詩篇62篇5節―8節)、主からの勝利と平安をいただいこうではありませんか(ピリピ人への手紙4章6節―7節)。