すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6章28節―29節)

1.マタイの福音書1613節―17
2.コリント人への手紙第一15章3節ー10節
3.エペソ人への手紙21節―9
4.テトスへの手紙214節―8

「先生。いつここにおいでになりましたか。」と尋ねた群衆に「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満足したからです。なくなる食べ物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子が与えるものです。この人の子を父すなわち神は認証されたからです。」と、仰せられると、群衆が「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」と尋ねたので、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と、この世のことよりも、行いではなく、永遠のいのちを与えるために神から遣わされたイエス様を信じることの大切さを語るとともに、ペテロに「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(ルカの福音書22章31節)」と仰せられたように、イエス様を三度知らないと言ったにもかかわらず主を信じ続けることができたのは、「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです(ペテロの手紙第一1章21節)」と語っているように、自分の努力や行いではなく恵みによるものであり、それこそが神のわざなのではないでしょうか。さまざまな試練に会うと神に対して不信の罪を犯したりすることがありますが、不思議なことに、どうにもならないと「主よ」と主に助けを求めるのではないでしょうか。ペテロにために祈られたようにイエス様が御霊が神のみこころにかなったとりなしをしていてくださることを忘れずに(ローマ人への手紙8章26節ー27節)、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないようにしようではありませんか。