人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブの手紙1章20節―22節)
1.ヨシュア記1章1節―9節
2.列王記第一18章17節―29節
3.マタイの福音書26章36節―54節
4.使徒の働き17章21節―34節
ヨシュア記はよく「勝利の書」と言われますが、アカンが聖絶のものを隠しもって不信の罪を犯したこととアイでの戦いにおいて偵察に行った者たちの言葉に従ったためにアイでの戦いに最初は敗北しましたが、ヨシュアが主のことばに従って行動したことによってアイでの戦いに勝利したように(ヨシュア記7章1節ー5節及8章1節ー28節)、その秘訣は神のことばに従って歩んだことにあるのではないでしょうか。エリヤも「あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。」と申し上げると、主の火が降ってきたので民は「主こそ神です。主こそ神です。」と神に立ち返ったのでした(列王記第一18章19節―39節)。今日の聖句は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と、人の怒り、すなわち肉の行い(ガラテヤ人への手紙5章19節―21節)から私たちのたましいがすくわれるためにはみことばを心に蓄え、みことばにすなおに従うように勧めています。ところで、イエス様は父のみこころを、聖書の預言を成就するためにゲッセマネでもだえ苦しみながら大きな叫び声と涙をもって父に祈りと願いを捧げられたように(ヘブル人への手紙5章7節ー10節)、みことばに生きようとするとき、自分の考えや思い、感情との戦いがあるために苦しみや痛みが伴うことがあるのではないでしょうか。しかし、みことばである主の助言にすなおに従う時、主の栄光を見ることになることを心に据えて、私たちにはわからないことが多々ありますが、主は恵みとまことに満ちておられる良き神であり、私たちの知性では把握できないほど偉大な神であることを忘れずに、みことばである主の助言をすなおに受け入れるとともに、最善な行いであるみことばに生きることができるように信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見ようではありませんか(ヘブル人への手紙12章2節ー4節)。