自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。(ルカの福音書631節)

1.マタイの福音書1821節―35
2. ヨハネの福音書13章34節ー35節
3.エペソ人への手紙417節―32
4.コロサイ人への手紙32節―17

イエス様は「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイの福音書7章12節)」と、また「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためと思ってはなりません。廃棄するためではなく、成就するために来たのです(マタイの福音書5章17節)」と仰せられ、十字架の死をもって成就されたのですが、それは神の愛によるものでありました。ところで、神の愛は何かと考えると「赦し」ではないでしょうか。私たちはイエス様が教えてくださったように「私たちの負め(罪)をお赦しください。私たちも、私たちに負いめ(罪) のある人たちを赦しました。(マタイの福音書6章12節)」と祈っていますが、それを日々の生活において実践できる秘訣は、神の愛、全生涯の罪が赦されているという恵みに生きることではないでしょうか。一万タラントの借金があった人が、自分が赦され借金が免除されていることがわからずに、彼に百デナリの借金をしていた同僚を赦さずに牢に投げ入れたためにせっかく赦されていたにもかかわらず、主人は怒って借金を全部返すまで獄吏に引き渡されてしまった、というたとえ話しをされてから「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになるのです。」と仰せられましたが、それは、神がダビデに彼の子孫が罪を犯した時には人の杖、人のむちをもって彼を懲らしめるけれどもわたしの恵み(英語訳:愛、ヘブル語では両方の意味があります)を取り去ることはない、と約束されたように(サムエル記第二7章14節―15節)、キリスト・イエスにある神の愛から引き離されて、救いが取り去られると言う意味ではないことを心に据えるとともに、心のうちを正直に主に申し上げて、赦せない人を赦すことができるように、自分に生きるのではなく、恵みを無駄にしないように、聖霊によって与えらている神の愛に生きられるように主に願い求めるとともに、赦し合うことは神のみこころにかなった祈りなので、時間がかかるかも知れませんが、主が心を変えてくださることを感謝し、主をほめたたえようではありませんか。