何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節―7節)

1.詩篇62篇5節ー8節
2.マタイの福音書1128節―30
3.ヘブル人への手紙122節―3
4.ペテロの手紙第一5章7節―10節

ソロモンは「日の下」、すなわちこの世のあらゆる分野を極める中で、この世の知恵や知識がもたらすものは悩みや悲しみであることを語るとともに(伝道者の書1章18節)、シェバの女王が驚くほどの富を手にしても「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何も労苦しなかった者に、自分の分け前をゆずらなければならない。これもまた、むはしく、非常に悪いことだ。実に日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。」と、この世が与えることができるものをすべて持っていたにもかかわらず、悩みや悲しさ、恐れやむなしさを抱えて不眠症にかかっっていることを告白するとともに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と結論づけました。主ご自身が、人にとって主がどのような方であるかを知っていることこそが最も大切であることをエレミヤ書9章23節―24節で語っています。人がうらむような才能や富があっても心と思いが守られていないなら、見かけは幸せそうに振る舞っていてもやがてそのギャップに悩まされ、元気を失ってしまうのではないでしょうか。今日の聖句は「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と、心と思いが守られる道は一つであることを語っています。どんな時にも、どんな状況下にあっても、恐れや思い煩いから心や思いが守られるために、私たちの主は私たちの願いや祈りをお聞きくださるだけでなく、すべてのことを働かせて益としてくださる方であることを思い起こして主の前に静まり、この世が与えることのできない平安を与えてくださるイエス様が聖霊なる神として心に内住しておられることを感謝し、主からの平安や力をいただこうではありませんか。