地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。(イザヤ書45章22節)
1.詩篇11篇1節―7節
2.34篇1節―10節
3.イザヤ書43章8節―13節
4.ヘブル人への手紙12章2節―3節
イエス様が「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられたように、ヨーロッパから見ると遠い国で極東、すなわち地の果てと言われてもおかしくない日本にまで福音が届いたのでした。ところで、今日の聖句は「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」と、神は唯一であることを宣言するとともに、すべての人が救いを得るために主を仰ぎ見るように勧めています。なぜなら、神の願いは、すべての人が救われるだけでなく、真理を知ることだからです(テモテへの手紙第一2章4節)。ところで、ヘブル人への手紙12章2 節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と、キリスト者に勧めています。イスラエルの民は多くの奇蹟を体験して神の偉大さを見ていたにもかかわらず、約束の地を探った者の中で神を考慮せずアナク人と自分たちを比較した者が「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と民に言ったために、「なぜ主は、私たちをこの地に導いてきて、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くないか。」などとつぶやいただけでなく、「主にそむいてはならない。」と警告したヨシュアとカレブを民は石で打ち殺そうと言い出したのですが、20歳以上のもので約束の地に入れるのはヨシュアとカレブだけであることを主は宣言されたのでした。恐れや思い煩いが襲って来た時には死に勝利され今は天において父なる神の右に座しておられる主を仰ぎ、パウロのように罪に悩み、自分がみじめに思えて自己嫌悪に陥り、後悔して悩むような時には十字架にかけられながらもとりなして祈られた恵みとまことに満ちておられるイエス様を仰ぎ見て、全生涯の罪が取り除かれ恵みによって救われていることを感謝して、どんな時にも主を仰ぎ見て主から力をいただこうではありませんか。