信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)
1.ヨブ記42章1節ー6節
2.マルコの福音書5章25節ー34節
3.ルカの福音書7章2節ー10節
4.ルカの福音書8章4節ー10節
主はサタンに「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」と仰せられると、サタンが「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜はふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」と言ったので、主は「では、彼の全ての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と、サタンがヨブを試みることを許されたので、、サタンは人災や自然災害をもってヨブの所有物や子供達までも滅したのですが、その報告を聞いたヨブは立ち上がって上着を引き裂き頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、「私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と、主をのろうことをせず、賛美のいけにえを捧げ、サタンのもくろみに勝利されると、サタンは、三人の友がヨブであることが見分けられないほど、ヨブの足の裏から頭の頂まで悪性の腫物でヨブを打ったのですが、妻から「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」と言われても「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。」と、妻をたしなめでから「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けなければならないではないか。」と言って神をのろうような罪を犯すようなことを口にせず、サタンのもくろみに勝利されただけでなく、三人の友から非難された彼は興味深いことに「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が人のために神に取りなしてくだいますように。(ヨブ記16章19節ー21節)」と、イエス様の名前は出てきませんが、神にとりなしてくださる方がおられることを知っておられたでした。興味深いことにヨブは「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、、今、この目で見ました。(ヨブ記42章」とも告白しています。ヘブル人への手紙11章6節は「信仰がなくては、神に喜ばれることはありません。」と語っています。神に喜ばれたヨブのように信仰に堅く立って生きるための秘訣をパウロは「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と語っています。右を見たり、左を見たりせず、みことばをしっかり握り(ヨシュア記1章7節ー8節)、信仰の創始者出あり完成者であるイエス様を仰ぎ見て生きるようにしようではありませんか。
