イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。(エズラ記9章15節)

1.詩篇1301節―4
2.詩篇1431節―2
3.コリンと人への手紙第一15章3節ー11節
4.ヘブル人への手紙415節―16

イスラエルの民は神の偉大さを経験していながらも、何度も罪を犯したのにもかかわらず、しかも預言者を通して偶像崇拝者と結婚しないように警告したにもかかわらず、バビロンの捕囚から帰還した者の中に不信の罪を犯した人々がいることを知ったエズラはイスラエルの神のことばを恐れている者とともに夕方のささげ物の時刻まで色を失って、すなわち、青ざめてすわっていましたが、夕方のささげ物の時刻になると、彼はひざまずいて「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭よりも高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天まで達したからです。」と、申し上げるとともに、神は民を見捨てることなく、かえって、ペルシャの王たちを用いて神殿を再建させてくださるという恵みを施してくださっただけでなく、涙ながら祈る祈りの最後に「イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」と告白されました。アブラハムは主にソドムとゴモラに十人の正しい者がいたなら、その者たちのためにその町を滅ぼさずに赦されることを約束されたように(創世記18章17節―32節)、主は正しいだけでなく、あわれみと恵みに満ちておられる方であることを、目を天に向けようともせず自分の胸をたたいて「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈った取税人を神は義と認めてくださる、と仰せられたイエス様のことばを心に据えて、恵みによって義人とされていることを、主の御名によって祈る特権が与えられていることを感謝して祈ろうではありませんか。