あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみにあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(ペテロの手紙第一5章10節)

1.ヘブル人への手紙122節―11
2.ヤコブの手紙12節―4
3.ペテロの手紙第一15節―9
4.ペテロの手紙第一2章18節―25節

イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天にあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全であるように、完全でありなさい。」とイエス様のみもとに来られた弟子たちに話されましたが、今日の聖句は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみにあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、完全さは、あらゆる恵みに満ちた神の働きによるものであり、苦しみを通されることよってでもあることを、しかもヤコブの手紙1章2節が「さまざま試練に会うとき」と、アモス書5章19節が「人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇が彼にかみつくようなものである。」と語っているように、次から次へと試練が襲ってくることがありますが、「しばらくの苦しみ」とあるように、永遠に続くものではないばかりか、パウロが「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。・・あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章11節―13節)」と告白しているように、試練は、不動の者となるという目的をもった神のご計画の中にあることを、信仰の完成者であるイエス様がどのように歩まれたかを心に据えて、主を仰ぎ見て生きようではありませんか。