雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章10節−11節)

1.申命記811節―18
2.イザヤ書465節―13
3.エレミヤ書2910節―14
4.使徒の働き27章20節―25節及び42節―44節

主はモーセに「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、へて人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」と主が与える地がどのようなものであり、どのような人々がそこに住んでいるかもモーセに伝えたのでしたが、前方には紅海、後方からはエジプト軍と逃げ場を失った民は、神の約束のことばよりも現状に目を留めて「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」とモーセに言ったのですが、主は紅海の海水を二つに分けて民が無事に対岸に渡ると海水をもとに戻してエジプト軍を一人残らず溺死させるという、人には考えられないような奇蹟をもって民を救われたのでした。しかし、民はそのような経験をしながらもモセーが「私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに、恐れてはならない。おののいてはならない。」と言ったのにもかかわらず、民が先に人を遣わしてその地や行く道、町々について報告を持ち帰らせるように進言するとモーセもそれに同意したために、遣わされた12人のうち約束の地について悪く言いふらした者たちのことばを民は信じて「主にそむいてはならない。」と警告したカレブとヨシュアを石で撃ち殺そうとしたので主は介入して約束の地に入ることができる20歳以上の者で約束の地に入ることができるのはカレブとヨシュアだけであることを宣言され、宣言されたようになったのでした。今日の聖句を心に据えて、私たちには理解できないことが多々ありますが、エリザベツが「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸なことでしょう。(ルカの福音書1章45節)」とマリアに言われたように、神の口から出たことばであるみことばの約束を信じて生きようではありませんか。