もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章20節―21節)

1.箴言2419節―20
2.詩篇371節―15
3.エペソ人への手紙426節―32
4.コロサイ人への手紙3章13節―17節

パウロは「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と、同じ土俵に立たないように、自分で対抗せずに神に任せるように語ってから、「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」と一つの例をあげて対処する道を語ってから「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と勧めています。人は義なる神に似たものとして創造されたために悪に対して憤ったり、怒ったりしてしまいがちですが、ヤコブの手紙1章20節に「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」と、ガラテヤ人への手紙5章20節に憤りは肉の行いであることを語っています。イエス様は「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」と祈るように教えてくださってから「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがを赦してくださいます。」と加害者にではなく被害者に対して語っています。なぜなら、人の怒りは「赦さない、赦せない」という罪を犯してしまうからではないでしょうか。パウロは「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4章32節)」と勧めているように、十字架につけている人々のためにとりなして祈られたイエス様のことをいつも思うとともに、主にすべてをお委ねして主が喜ばれるように生きようではありませんか。