するとひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたら良いのでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」(マタイの福音書19章16節―17節)

1.伝道者の書12章9節―14節
2.ヨハネの福音書10章10節ー16節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.テモテへの手紙第一2章1節―6節

今日の聖句にあるように、人は行いに注目しますが、主は「良い方は、ひとりだけです。」と、「良い行い」以前の問題を提示しています。今日の聖句の続きに、イエス様は「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたら良いのでしょうか。」と質問された青年に「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と話されると、彼が「そのようなことはみな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と答えたので、「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と話されると彼は多くの財産をもっていたので悲しんで去って行ったように、人は行いによって完全になることができないことを語っています。ソロモンは「私は千人のうちに、ひとりの男を見いだしたが、そのすべてのうちに、ひとりの女も見いださなかった。私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたのだ。(伝道者の書7章28節―29節)」と語ってから、そのひとりについて「ひとりの羊飼い(12章11節)」と語っています。イエス様は「わたしは良い羊飼いです。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章11節)」とご自分がどのような方で、どのようなことをされるかを語っています。パウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と語っています。私たちの心に聖霊なる神として内住しておられる良い方、とりなしていてくださる主が喜ばれることかどうかを思うなら、するべき良い行いがなんであるか判別できるのではないでしょうか。福音宣教の働きを主がお導きくださり、人々がまず良い方、良い羊飼いであるイエス様を知ることができるように祈ろうではありませんか。