どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。(エペソ人への手紙3章20節−21節)
1.イザヤ書55章6節―11節
2.エレミヤ書32章17節―19節
3.ローマ人への手紙11章33節ー36節
4.エペソ人への手紙1章3節ー14節
パウロは「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです(ガラテヤ人への手紙1章1節)。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害していたからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節―10節)」と、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を、教会を迫害していたにもかかわらず、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、キリスト者となっただけでなく使徒としての働きに召されたことは、彼が願ったことでもなく、思ったこともないもので、彼にとっては驚愕に値するものであったのではないでしょうか。福音を知る者となった彼は恵みを深く知る者となり、「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。」と祈られました。主人も私も主からの召を受け止めて芦屋で開拓を始められた宣教師とともに教会形成を目指したのですが、その門は閉じられ、経済的なサポートが全くなくなった状況の中で、主は主人に東京交響楽団に勤める道を開かれ、テイームセンターでの宣教師さん方のお交わりの中で、宣教師さんから彼らの教会での演奏とメッセージを依頼され、メッセージをとりつぐだけでなくチェロをもって日本の教会に仕えるという私たちが考えたこともないミニストリーを主は与えられたのでした。それはパウロのように主の恵みによるものでした。パウロの「神の恵みによって、私は今の私になりました。」はすべてのキリスト者に言えることではないでしょうか。パウロのように神の栄光がいつもありますように祈ろうではありませんか。