人の怒りは、神の義を実現するものではありません。でずから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植え付けられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者で終わってはいけません。(ヤコブの手紙1章20節―22節)

1.エゼキエル書3625節―27
2.ヨハネの福音書1412節―15
3.ヘブル人への手紙312節―42

今日の聖句は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。でずから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植え付けられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたのたましいを救うことができます。また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者で終わってはいけません。」と、イエス様を信じることによって御霊によって新しく生まれ、神から与えられた神の義を持つ義人とされたキリスト者が肉の思いに支配されないために、心に植えつけられたみことばをすなおに受け入れることと、みことばを実行することを勧めています。神の怒りは不義や不敬虔に対するものですが、人の怒りが神の義を実現できないのは神の怒りと違って感情によるものであるからではないでしょうか。パウロは「終わりの日には困難な時代がやってくる事をよく承知しておきなさい。」と語ってから、そのときに人々は「自分を愛する者」「金を愛する者」「神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を捨てる者になるからです。」と語っています(テモテへの手紙第二3章1節―5節)。イエス様は「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハネの福音書14章15節)」と、みことばを守る鍵はイエス様を愛しているかどうかにあることを、ヘブル人への手紙4章2節は「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」と、みことばに生きるためにはみことばを信じる必要があることを語っています。人はとかく知識が豊富な人に驚嘆しますが、どんなに豊かな知識があってもそれを日常生活に適用しなければ宝の持ち腐れになってしまうのではないでしょうか。イスラエルの民は神がどのような方であるかを体験していたにもかかわらず、約束の地について悪く言った人々のことばに惑わされ神の約束のことばを信じなかったためにヨシュアとカレブ以外の20歳以上の者は約束の地に入ることなく、彼らが願ったように荒野で亡くなったのでした。みことばを実行できるかどうかはイエス様を愛しているかどうかに、みことばが真理であることを信じているかどうかにかかっているのではないでしょうか。