この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)

1.ローマ人への手紙15章16節
2.コリント人への手紙第一2章7節ー12節
3.コリント人への手紙第一15章3ー10節

「心を入れ替えて・・・・」ということばが象徴しているように、人は時折、特に自己嫌悪に陥った時など、変わりたいと願って努力しますが、一時的に変わったように思えても長続きしないために「ありのままで良い」という結論に至ってしまうのではないでしょうか。しかし、イエス様はユダヤ人の指導者ニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」と、ありのままではなく、生まれ変わる必要性を語りました。ところで、御霊は人の努力によって得られるものではなく、イエス様を信じるすべての人に与えられるものですから(ヨハネの福音書7章39節)、イエス様を信じるすべてのキリスト者は御霊によって新しくされ神の国の民とされている恵みにあずかっているのです。キリスト者となったパウロは自分のうちに罪があることを気づかされ悩みましたが、その解決がキリスト・イエスにあること、神の恵みと愛を深く知る者となり「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と勧めています。近年、キリスト教界の賛美の歌詞に「ありのまま」ということばが使われていますが、イエス様は悔い改めることを奨励しましたし、パウロは「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです(コリント人への手紙第二3章18節)。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二4章16節)。」と語っています。福音主義のキリスト教界に広がっている異端があると言われたA.W.トーザ牧師は「クリスチャンはうそをつかないが教会に集ってうそを歌っている。」と言われました。「ありのまま」ではなく、信仰の創始者であり完成者であるイエスに心を向けて、日々新たにしてくださる御霊が悲しまないように、この世の知恵や人生観に惑わされないように、みことばの真理を握って生きようではありませんか。